2日のTKC西東京税理士会の研修にて、エンディングノートの書き方をお伝えしました。
エンディングノートは、お金・人間関係および人生の整理を考えるものです。
私が多種の資格を取ったのも、『整理』というキーワードで取っていったからです。
そこは、義父の葬式の夜に起こった親戚と夫とのバトルに起因しています。
一人っ子でも相続争いは起こるんだ。。。そこから相続に興味を持ったのです。
税理士の先生を前に、相続の話をするのも不思議ですが、実体験をお伝えするのが一番だと思いお伝えしました。また、一般の方にお話ししている、税理士の選び方までも。
ここは止めておこうかと思ったのですが、以前親しい税理士さんは「確かに」と苦笑されていたので、あえてお話ししました。
その時にお一人で抱え込まないこと、チームで進めるのが、クライアントにいい結果をお渡しできるという趣旨でお伝えしたつもりです。
終わりの謝辞でも、その後の懇親会の席でも、「税理士相手にさぞ話しづらかったでしょう。」とのねぎらいがありましたことは、とてもありがたいことです。
私も5年ほど会計事務所にいましたので、多少の内情は分かるつもりです。しかし、こちらの支部の方々は、他の支部の方も交えての交流が盛んのようで、研修旅行の話も、お酒の席でドンドン人数が増えていきました。このような交流がある先生方って珍しい?ような気がしました。私見ですが。(笑)
エンディングノートは人生を振り返ることになるので、
妻に感謝を伝えるにはどうしたらいいのか?
素直に表そうとすると、何か悪いことをしたのではないか?と疑われる。
など、いろいろな話が出ました。
おいた(いたずら)をした男性は、奥様に感謝をしておかないと、老後しっぺ返しが来ることがありますよ~。そんな話をしたからでした。
生きることは義務か権利か?死ぬのは義務か権利か?
これは、ある税理士さんが言われたことですが、
自分は、一生懸命生きることは義務だと思っている。(人間に生まれてきたことの意味を言われているのだと思いました。)その懸命に生きた時に行きつくのが、死ぬ権利だと思う。だから、自殺は最もダメなこと。(ニュアンスが上手く伝えられなくてすみません。)そんな話になりました。
「ありがとうございます。」の言葉は「有り難い」と「ございます」にわかれます。
お釈迦さまの言葉から来ていると言われていますが、人間に生まれてきたこと自体が「ありがたい」(めったにない、貴重な)ことだといいます。「ございます」は「ある(在る)」の丁寧語。
生死を考える時間は、なかなかありません。しかし、次世代に伝えたいことがあると思った時に、自分と向き合うことができます。その時間を提供してくれるのが、エンディングノートだと思うのです。
書く意味・意義が分からないと、つい後回しにしてしまうモノでもあります。だからこそ、ちょとでも手を付けていただけるように、ワークの時間を取っています。スラスラ手が動く人もいれば、止まってしまう人もいます。そこで気が付くのです。
自分がどう生きてきたか?
子供に伝えることは何か?
これからの自分の在り方はどうすればいいのか?
だからこそ、生きる義務、死ぬ権利という言葉が出てきたのだと思います。
人によって解釈は異なるでしょう。正解はないと感じます。その人その人の生き方が表れているのですから、違って当然でもあるでしょう。でもその人の生き方を見て、納得するのも事実です。
どう生きてきたか?
これからどう在るのか?
エンディングノートを通して、ご一考いただければ幸いです。